玄黄庵入り口>>『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』試訳 >>原著『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』及び著者ジョージ・リプレイについて

【原著『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』について】

  『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』はタイトルが示す通り、いわゆる〈錬金術〉(=金属変成の術)[注1]の手法と、その背景となる思想をテーマとした詩編です。オリジナルは1471年にイギリスの修道士ジョージ・リプレイ(George Ripley)の名で書かれました。写本として広く流布した後、1591年にはラルフ・ラバーズなる人物により、初めて印刷物として出版されました。「ラバーズ」の名は筆名であり、その正体は杳として知れませんが、彼自身の記す所によれば、エリザベス一世に仕える諜報員であったといいます。
ラルフ・ラバーズ版『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』はこちらの書籍に全文掲載されています。
George Ripley's Compound of Alchymy (1591)

【注1】ヘルメス思想や錬金術について知りたい方には、入門書として
黒い錬金術 (白水Uブックス) 』(種村季弘・著/白水社・刊)或いは
錬金術: 精神変容の秘術 (新版イメージの博物誌)
(クロソウスキ・ド・ローラ著/種村季弘 訳/平凡社 刊)をお薦めします。
  やがて1652年には、イングランドの古物収集家エリアス・アシュモールによって叢書『英国の化学の劇場』(Theatricum Chemicum Brittanicum)が出版され、『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』が全文掲載されました。[注2]
  拙訳の底本としたのはこのアシュモール版で、日本語訳の左側に原文を掲載しましたが、何分17世紀当時の活字につき判別し難い部分も多く、タイプミスも多々あるかと存じます。正確に原文を知りたい方は、こちらのサイトにて原著『英国の化学の劇場』の内容をご確認下さい。
【注2】当初はエリアス・アシュモールにより『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』が単独で出版されたかのように書いておりましたが、読者様から情報をお寄せ頂き、間違いである事が判明しました。いい加減な事を書いて申し訳ございませんでした。情報をお寄せ下さった方に深くお礼申し上げます。有難うございました。(08/3/14改変)
  尤も、『George Ripley's Compound of Alchymy (1591)』の編者Stanton J.Linden氏によれば、ラルフ・ラバーズ版もエリアス・アシュモール版も、恐らくは大英図書館のスローン写本2598より筆写されたものであり、従って内容自体に大きな違いはありません。
  尚、16〜17世紀頃の英文法は現代英語のそれと殆ど変わりませんが、単語の綴りや意味には幾らかの違いが見られます。殊に綴りに関しては、現代英語に比べ大変な多様性が見られ、一つの単語に何十種というヴァリエーションが存在する事も稀ではありません。
  殊に写本の形で流布していた作品の場合、書き写した写字生の方言の影響等もあり、写本により綴りが異なるのが普通です。その為、綴りの似た単語が存在する場合は、その単語が現代英語のどの単語に当たるか、複数の候補を検討する必要があります。



【著者ジョージ・リプレイについて】

  ジョージ・リプレイ(George Ripley、ジョージ・リプリーとも。ラテン名はゲオルギウス・リプラエウス)は15世紀のイングランドに実在したキリスト教の修道士です。その前半生については殆ど記録がありませんが、アシュモールの『英国の化学の劇場』によると、リプレイは1415年、ヨークシャーはハロゲート近郊にあるリプレイ村にて、紳士階級(ジェントリー=地主階級、郷士とも)の子息として生まれたといいます。十代半ばで俗世を捨て、東ヨークシャーはブリドリントンのアウグスチノ会派修道院、聖母マリア(セントメアリー)小修道院の修道士となりました。

  『ジョージ・リプレイよりエドワード四世への書簡』に於いてリプレイ自身の語る所によれば、彼はエドワード四世の要請によりベルギーのルーヴァン大学に留学し、その際に、「金属変成の術」(=Alchymie:「錬金術」)の奥義に触れたといいます。
  リプレイはルーヴァンの他にも、イタリア、フランス、ヨーロッパ各地を遍歴したと伝えられており、中にはロードス島の聖ヨハネ騎士団を訪ね、多額の寄進をしたという伝説もあります。しかし、何れにしろ1471年までには帰国し、この『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』を書き上げたといいます。
  更に1476年には再びイタリアへ渡り、ラテン語の錬金術書『Medulla Alchymiae』(=The Marrow of Alchymie:錬金術の真髄)及び『Cantilena』(リプラエウスの古詩、リプレイの作ではないという説もある)を書き上げたとも伝えられています。アシュモールによれば、晩年はカルメル会の修道士となり、リンカーンシャーはボストン近郊の聖ボトルフの修道院に移り、1490年に亡くなるまで隠棲していたといいます。

  それらリプレイの著作は、少なくとも17世紀に至るまで、英国の知識階級の興味の対象であり続けました。『George Ripley's Compound of Alchymy (1591)』におけるJ.Linden氏の著述によれば、『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』は1591年に初出版された後も筆写され続け、その結果、膨大にして様々なヴァリエーションの写本や解説書が生まれるに至りました。

  17世紀後半になると、「エイレナエウス・フィラレテス(Eirenaeus Philalethes)」なる筆名の謎の人物により、『THE COMPOUND OF ALCHYMIE』に関する論文『RIPLEY REVIVED』が出版されました。
  フィラレテスの正体は、曾ては同時代の文学者トマス・ド・ヴォーンであると考えられていましたが、現在はアイルランドの物理学者ロバート・ボイルの物理学の師、ジョージ・スターキーであったという説が多くの歴史家により支持されています。『RIPLEY REVIVED』には、「著者フィラレテスが、この著作の原稿と出版権を〈スターキー氏〉に譲った」という記述があり、少なくともフィラレテスとスターキーとが極めて近しい間柄であった事を裏付けています。

  20世紀初頭になると、心理学者C.G.ユングがリプレイの『カンティレーナ(古歌)』に注目し、その著作『結合の神秘』に於いて此れを取り上げ、詳細な心理学的分析を試みました。

  斯くの如く、リプレイの著作は凡そ500年もの間、知識人の関心の対象であり続けました。しかし幸か不幸か、我が国においてリプレイの名は殆ど知られておりません。拙訳を切掛けに、その著作に興味を持って頂ければ幸いです。
(山田砌)

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